対談記事

浅田正行 × 植田真光
2018.03.01
縁と運
植田 人はこの世に生まれ、人生を歩んでいくなかで多数の人たちと関わりながら生きていきます。出会いがあって、別れもあります。新しい縁を結んでいく「出会い」について、浅田さんは特に意識されていることはありますか?
浅田 私は出会いについては「出会い方」を意識しますね。出会いの背景と言ってもいいですけど。友人、恋人、仕事仲間、どのような人間関係でも出会い方によってその後の展開は変わってきますよね。
植田 そうですね、同じ人物であっても出会う時期や出会う過程によって変わりますね。
浅田 人に紹介してもらう場合でもどなたに繋いでもらうかでその後の展開は違ったものになりますよね。右に行くはずだったものが左に行ってしまったり、近い関係になれそうな人がなれなかったり。もちろん、その時の自分の精神状態も影響しますけどね。
植田 出会うタイミングですね。
浅田 そうですね。タイミングは大きいですね。「もっと早くに出会えていれば良かったのに」と思うようなことは皆さんにあることだと思うのですが、それも現在だから思うことであって、早くに出会っていれば相手も自分も今の状況とは違って別の人間だったかもしれませんよね。
人が持つ価値観も経験を積んでいくと変わってくるものですし、その価値観によって、その時、その時で周りにいる人達の種類も違うかもしれない。そうすると出会ったものの良好な関係は築けなかった可能性もありますね。
植田 出会いを取り巻く要素がその後の結果を作るのでしょうね。
浅田 そう思います。分かりやすいのは恋愛関係ですかね。出会いがあって、その人を好きになってしまった時、相手に恋人がいるのといないのとでは大きく違いますよね。
誰もいない場合は何の問題もなく恋愛関係に進めるかもしれないですが、恋人がいる場合には話は変わってきますよね。何も告げずに縁がなかったと諦めるのか、別れを待つのか、強引に割って入って奪い取ろうとするのか。どの選択をするのかでその後の展開と関係性、自分の人生の方向すら変わってくることもあるでしょうね。
植田 一つの出会いで幸せになることもあれば、苦しむ事もありますね。
浅田 婚姻関係を結ぶ時、それを縁談と呼びますね。出会いは縁がもたらすものなのでしょうけど、そもそも縁と何か?ここでしょうね。
植田 縁は運です。運とはなにかというと縁なんです。良い縁を結ぶという形が良い運を呼ぶんですね。これに尽きると言えます。
浅田 なるほど。縁というのはその人の価値観で出来ていくものですから、良い縁は良い結果に繋がっていきますよね。
植田 価値観で言うと今の世の中は金ありきの傾向が強すぎますね。お金に支配されているといってもいいですね。まずお金という風潮があります、お金さえ稼げば偉いみたいなね。でもね、お金だけがあってもそれを支えているものが空虚なものだったら、例えば、素晴らしい美術品を所有してもそれはただの物質ですよ。美術品が持っている本質を生かせないでしょうね。もちろんお金は必要なものでお金を稼ぐということは大事なことではあるのですが、お金だけを求めていくのではなく、良い縁を結んでいくことが自分にとっての一番の強化になり、良い結果を生むのですね。
周りを含めた自分というものが良い形で出来あがって行った時にお金の意味も使い方も分かってくるものです。それが分からないとお金に自分が潰されることだってあります。お金を持ったがために良くない縁を呼ぶこともありますね。それは自分がお金に見合った成長が出来ていなくて、ただお金が入ってきただけのことで、お金が生かされていなかったし、お金も自分を生かしてくれなかったのでしょうね。
じゃぁ、どうすればいいのか。そこから何を学べるかでしょうね。何かを学べれば、また違った縁もあります。良い縁は感謝の心を持つことによって近づいてきます。恨み、つらみや我欲が良くない縁を呼び込むことになりますね。
浅田 仰る通りだと思います。まず、自分という胴体がしっかり出来てないと正しく翼を付けることは出来ないですし、いくら燃料を積んでも空を飛ぶことはできないですよね。飛べたとしても全体のバランスが取れていないので、上に行こうとしても下に行ったり、右に行こうとしても旋回したりして、そのうちに墜落することになるでしょうね。やっぱり、良い出会い、良い縁が自分を作ってくれて自然に飛べるようになるのでしょうね。
住職の言われた「縁は運」「運は縁」というのは本当に人生を言い表していると思います。表裏一体というか同義語というか、一つのものと言ってもいいですね。
植田 浅田さんは御自分の人生を振り返ってみてそう思われるんですね。
浅田 思いますね。私は30年ほど前に会社を興して、それなりに会社経営をしているといえる規模で組織を運営できるようになりましたが、何度も危機はありましたよ。考え抜いて動いても風が吹かない事もありました。でも、持たせてもらえた縁に度々、助けられました。感謝しかないです。
人生を歩いて行く上で努力をしていくことは大事なことなんですが、努力だけでもだめなんですよね。
「あの人、才能はあるのになかなか花開かないよね」と言われる人がいます。その人はもの凄く努力もしているんです。では、なぜ上手くいかないのか?運を持っていないんです。その運というのは縁なんでしょうね。
植田 なぜ良い縁がないんでしょう?
浅田 それは、その人の性格だとか価値観、生き方に原因があるんでしょうね。才能を磨く努力はしているんですが、「生きる」「活かす」ということをしていないのだと思うんですよ。自分の才能にあぐらをかいて自分の価値観に囚われてしまって、人の助言などには耳を貸さなかったりして、自分で自分の成長を妨げているのかもしれません。
どんなにすごい才能を持った人でも初めから完成された人なんてまずいないでしょう。自信を持つことはいいことです。その上で謙虚な姿勢と感謝の気持ちがあれば学べることはたくさんあると思います。
自分に与えられた才能や自分に関わって励ましてくれたり怒ってくれる人に感謝して、粛々とやっていけば自然と良い縁は出来でくるものです。そうすると良い運もやってくるでしょうね。
謙虚な姿勢はあるけれども人との関係が煩わしくて、人を遠ざけている人も難しいでしょうね。でも、人付き合いが苦手な人でも、素の自分で溶け込める環境はあるはずなんですよ。怖いながらも挑む勇気さえあれば突破口はありますよ。簡単なことではないかもしれませんけどね。
私が助けられたのは人の事が好きだったからかな、と思います。人に興味があって人の輪を広げてきました。広げてきたというか、自然に広がってきました。そのなかの良い縁でやってこられたのかもしれません。ただ、必死になって努力をしてきたかというと、そこのところは胸を張って「やってきた」とは言えないんですけどね。
植田 努力というものは自分でそれを認識しているか、いないかというのもあるのではないですかね。
「がんばらねば、努力しなければ」と思いながらやる努力もありますが、自分では意識していないけれど努力といわれることを何も考えずに黙々とやっていることだってありますよね。浅田さんの場合は後者ではないですかね。
「人間は誰しもが胸の中に宝石となる石を持っている。一生懸命に磨と美しい光で輝く玉になる」というお大師様の言葉が 「努力をせよ」ということなのだとすると自分は磨いてないのではないかと。でもね、「他人の利益を図るように努めていくと苦しみの世界に行く因縁が消える」という言葉も残されているんですが、これも努力なんですよ。
どうしても人間は苦しくなる因縁を育ててしまう。でも、他人の利益になるような事に常に努めている心になると、自分の中の苦しみと言う形が消えていって、そこに陥ることがなくなるということなんですが、自分では意識せずにこれをされているんじゃないですかね。浅田さんはよく「〇〇さんをなんとかしてあげたいんですよ」とか言ってらっしゃいますよね。周りの人たちに、こうしたら良くなるんじゃないか、それでは駄目なんじゃないかと常に提案をして一緒になって考えて行動されているじゃないですか。そのなかで自分が持つ苦しみの概念もなくなり、真っ直ぐに前を向いて歩いておられるんじゃないですかね。
浅田 そうですかね。そうだといいんですけど。
植田 そう思いますよ。特に見返りも求めずに自然に人の為に働くことっていうのはなかなかできないですよ。この間も力になってもらえないかとプロのアスリートと一緒に来られてたじゃないですか。
浅田 そうでしたね(笑)
植田 私の仕事で言いますと、一番の仕事はその人に風を吹かすことと道を開けるという、この二面だけなんですよ。いくら私が頑張って風を吹かすことをしてもその人に努力なり、縁なり、運なんていうものがなかったら、その風は、ただピュー、ピューと吹いているだけで明るい道が目の前にあっても進むことは出来ません。その人に努力できる力が備わって初めてそれをものにすることができ、力に変えることができるんです。
「あぁ、何をやってもだめだ」「出来るわけないだろう」と立ち止まって頭を抱えているだけの人はこちらがいくら風を吹かせてもだめです。でも「一回、がんばってみようか」「一歩、人生を前に歩いてみようか、闘ってみるか」となると、考え方自体に浅い、深い、思い違い、心違いがあったとしてもその人の一歩がそこに出来、その風をものにして目の前の開いている道を歩いて行き、こっちの方向でいいんだな、ということが分かってくるわけです。そうなってもらう助けをすることが自分の仕事だと思っているんです。
努力というのは働きなんです。なにもね、顔をゆがめてしんどい思いをして必死になってきばっていることだけが努力というのではないんです。こんなに才能を磨きあげているとか、世間が言うようなそんなことはその人の満足の仕方です。縁を実らせていくことが努力なんですよ。自分が持ち得た才能もまた縁かもしれません。生かすための努力というものは尊いものです。
自分の場合は奉修です。奉修というのは修業を奉納するということなんですね。修行をしたからこうなれたということではなく、純粋にその事だけに向かいなさいということなんです。
修業をしたという事実に満足して、そこにあぐらをかいて「俺はこれだけやってきた、だからこれだけできるんだ、だからこんな力があるんだ」というものではいけないんです。ただ、修業を添えるだけなんです。それを通じて神、仏を信じ、己を、人を信じる。要するに本質を見ると言う目が養われていくんですよ。
浅田 なるほど。
植田 私は色々な世界の人達との御縁がありますが、出会った人の持つ世界観が自分の中に入ってきます。その世界観を理解したうえで教えから見た世界観で話をし、理解を深めていってもらいます。
良い人間関係は謀(はかりごと)、作り事では成立しません。真の生きたものにしないと茶番劇になってしまう。その怖さがあるから真剣に人と対峙するわけです。
お坊さんだからと法話みたいな話ばかりするのではなく、今日の現実、その人たちの現実のなかでの「なるほど、そういうことか」と理解してもらえる実戦的な話をします。空理空論、仮定論はいらないんですよ。その人を見て「あぁ、この人はこうしたら間違いなく進める人だなぁ」というその人の本質を見極める目を養っていくことが私の努力であり、その努力がその人の助けになるという成果に繋がるのではないでしょうか。
浅田 その人を生かしていくことが基本なんですね。
植田 私はね、御縁を大事にしたいんですよ。皆さんが私との御縁で良い方向に向いてもらえるなら、なによりです。
それでその御縁が広がっていって、ほんの少しでも世の中が明るくなっていってくれることを願いますね。それが私の人生での仕事だと思っています。私の働きが助けになることで、私もまた助けていただいていますしね。
これから興していくお寺は、皆さんが普段着ている鎧を脱いで裸で話し合えるような場にしたいと考えています。そのことによって、それぞれの人が修業をするだけではなく、心のふるさとに帰って来たと思えるような潤いのある場所を作りたいですね。
浅田 心のふるさとですか。疲れた心を洗ってくれて、余分なものがない素の自分に戻れる場所ということですよね。そういう場所があるとありがたいですね。それは早く出来てほしい。切に思いますよ。
植田 もうちょっと待っていてくださいね(笑い)色々な方々からの御支援は頂いているのですが、これも御縁のものなんです。こういうことは良いライン、筋のことなんですが、ライン、良い御縁、タイミングが揃って始めないと方向が変わってしまう事があるんですね。まだ、そのタイミングではないんですよ。
浅田 そうですか。色々と難しいこともありますもんね。人と人とが関わって何かを作りあげるというのは簡単にはいかないですよね。まぁ、でも、それは楽しみに待っています。
やっぱり何事もタイミングというのは大事なものですね。私が住職の御縁で最近、出会わせてもらった人でもね、別の筋で4年ほど前に出会えるタイミングはあったんですよ。でも、その筋での出会いにはなぜか乗らなかったんですよ。その人には興味はあったのですが、なんかね、乗らなかったですね。でも、今回はスッと会えましたね。
植田 人とどの形で繋がっているかがラインですよね。例えば外面だけの関係であるとか、浅田さんの場合だったら仕事上仕方ないので付き合っているラインの人もいますよね。そこは仕事が途切れればそのラインはおそらく切れますよね。でも、信頼する人のラインで繋がっている人の場合、その信頼と出会えるということですね。それが人の縁なんでしょうね。
浅田 だから、今回はここだったんだなというのがありますよ。不思議ですけどそれはありますね。今までにも名前は聞いていて、何をやっている人かも知っていて、会おうと思えば会えたのになぜあの時に会えなかったというのが不思議なくらいなんですよ。あのタイミングで会っているのが普通なんですよ。会いたくなかったわけではないんですよ。でも、会ってないんですよ。それはやっぱり会うラインじゃないと感じていたんでしょうね。結果的に当時、間に入っていた人とはトラブルが発生して関係が切れてしまいましたから、その人との関係もスムーズに運ばなかったかもしれません。
ラインというのを軽く見てはだめですね。トラブルがあったりして時も、このラインは失礼してはいけない、あのラインだったら少々のことは大丈夫だとか、人の気持ちを締めたり、緩めたりもしますね。仕事もラインで出来あがっているのでラインを疎かにすると失敗に繋がる事になりますね。
ラインそのもの、ラインの使い方、両方が大事ですね。車でいうところのブレーキとアクセルみたいなもので、使いどころを間違えるとえらいことになる。ブレーキを踏むところでアクセルを踏んでしまうと大事故になることもありますしね。
植田 だから私も他人の御縁を取持つ時はタイミングとか、場とか、相手の状況とかを読みながら動きますね。
浅田 こういう言葉で言うのは適切ではないかもしれないですけど、住職はそこの間がね、タイミングが絶妙なんでしょうね。
植田 そこは本当に大事なところなんで、注意深くタイミングを計りますね。でないと成るものも成らなくなりますからね。人と人とがせっかく出会うんですから良い縁を結んでほしいですからね。
浅田 そうですよね。しかし、人っていうのは難しい生きものですね。言葉の使い方ひとつでぎくしゃくして、関係がおかしくなったりしてね。
植田 出会うのも縁だけど、切れるのもまた縁ですね。どうしたって切れてしまう事はありますね。ただ、相手とは合わないからといって、切れるのだったらどんな形でもいいというのも違いますよね。切れるにしても良い切れ方じゃないと相手も自分も生きてこないですからね。
浅田 切れた人は切れた人で別の縁で頑張ってくれたらいいんですからね。なにも自分とは関係がなくなったからといって潰れてほしいとは思ってないですしね。
それで言うと、有難いのか、有難くないのか、疎遠になってしまった関係で自分では切れたかなと思っている人でも実は縁は切れていなかったというケースもありますね。
長い間会っていなかった人と再会し、一緒になにかを始めたりすることもありますもんね。会っていなかった時間にそれぞれがそれぞれの形で成長し、お互いを認めることができるようになったのでしょうね。
まぁ、再会しても「やっぱりこの人とはだめだわ」ということもありますが。男と女でもね(笑)ありますよね。
植田 私事で言うと、つい最近、青春時代をともに過ごした旧友と再会したんですよ。別に仲たがいした関係ではないのですが。
当時、私はやんちゃな少年だったんですね。それで一緒に無茶なことをしていたんですが、そのうちに別々の道を歩みだし、自然と会わなくなっていきました。それから20年、30年が過ぎて「もう、会うことはないのかな、会ってもかみ合うことはないだろうな」と思っていたんですが、これが違ったんです。彼は当時持っていた心意気を忘れていなかったんです。当時の気持ちのまま今を生きていたんです。やんちゃなことではないですよ。真っ直ぐ前を見ていた純粋な気持ちと真っ直ぐに進むエネルギーをそのまま持っていました。
話をしながら私は忘れていたことを思い出しました。終わったことではなく、横に置いていたことをね。
私も傍から見るとバカみたいに直球で生きていますが、でも、どこか丸く収まるような大人の部分がありました。「あの気持ちのままでいいんだな」と、本当の自分を出し切ってやっていく自由な感覚を思い出しました。これは嬉しかったですね。彼に感謝していますよ。
あらためて御縁を大切にしていきたいと思いました。御縁があって私を必要とされる方にはどなたにでもお会いして、お力添えをしたいですね。私にできることはね。だから人とお会いする時に100の自分で会えるように常に自分を整えていたいですね。
浅田 こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、常に闘う準備はしておきたいものですね。何時、何がやって来るかは分からないですからね。タイミングははずしたくないです。万全な準備をして、ニュートラルな状態でいたいですね。
住職にはそれがありますね。だから業種問わず、人種問わず、対人間として接していけるのでしょうね。色々な経験をしてこられて、良いことも良くない事も自分の中に取り入れ、何事も「生かす」という方向で自分の道を歩いておられる。お坊さんというのは住職にとって天職ですね。
天職で言うと、私は人から天職だとか独立するとかの相談を受けた時にいつも言うのは自分に適していることをやる分にはいいけれど、自分の持っている要素と真逆なことは絶対にやるなと言うんですよ。上手くいく事はまずない、と。
植田 お大師様の言葉に「もし、自分に適していることにその能力を使うなら物事は極めて上手くいく。しかし、自分に向いていない事に能力を使うなら労は多く、益は少ない」というものがあるのですが、浅田さんのおっしゃっていることもそういうことですよね。
浅田 私はお大師様の言葉には一切触れたことはなかったんですけど、そうですね、そういうことですね。苦手なことを克服せよ、というような指導みたいなものが世の中にはありますが、克服できる苦手なことは実は苦手じゃなかったのかもしれない。どうしようもないくらい苦手なことは本人の性質とは真逆なことなので、やっているうちに病気になるかもしれない。そんなことをやるんだったら本人に向いていることを伸ばすべきですね。
ただ、自分に向いている事って自分ではよく分からなかったりもするんですけどね。
植田 心のあるがままでいいんじゃないですかね。心のなかで感じるあるがままに目を向ければ心が教えてくれます。(終)
浅田正行氏
小・中・高校生用学習システムの企画・制作・販売、教育関係の人材派遣等を全国で展開している、株式会社第一出版社長。テレビ画面の中でしゃべっておられることもあります。奥さまは、お笑いコンビ「ピンクの電話」のボケ担当の清水よしこさん。娘さんはシンクロナイズドスケーティングの日本代表です。