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対談記事

松本斉久 × 植田真光

2018.09.01

NARIHISA
classic cut glass in Japan

近代日本の生んだ、唯一の美術的工芸硝子「薩摩切子」
製造された期間はわずか十数年。
その、まぼろしの切子を一世紀ぶりに復刻させたのは
天満の硝子職人たちであり、復刻プロジェクトに深くかかわったのが、
天満切子の創始者、宇良武一氏である。
薩摩切子の技術を継承しつつ、新たな技法を用いることによって、
独特の美しさを引き出すことに成功した天満切子の特徴は
華と呼ばれる、花模様にある。
器に注ぐ飲み物の量によって、花は万華鏡のように変化し、
輝きは宝石のように美しい。用と美が見事に結びついた切子だ。
天満切子の後継者「天満切子 二代目 武山」としては、伝統美を引き継ぎ
「天満切子 斉 久」では、オリジナルの美を追求されている、
松本斉久氏と、もの作りにまつわる話をしました。

 

天満切子 斉久

 

用と美

植田 松本さんは、天満切子「二代目 武山」として、切子作りをされているわけですが、切子作家を始められたのは、どういうきっかけからですか?

​松本 私が切子作りを始めたのはけっこう遅くて、三十代からなんですよ。それまでは別の仕事をしていたんですが、自分としては一生続けていこうというものではなかったんですね。で、今後、どうしていこうかと考えていたときに、天満切子と出会い、触れていくうちに、他の有名な切子の特色である装飾的な美とは違った、なにか、「用の美」を感じたんですね。
「あぁ、こういう、心地よく暮らしに寄り添えるようなものを黙々と作っていたいな」と思いまして、天満切子の創始者、宇良武一氏に弟子入りしました。

植田 もともと物作りのようなことはされていたんでしょうか。

松本 いや、本格的に取り組んだことはなかったんですが、こつこつ、物を作ることは好きでしたね。

植田 いきなり職業を変えて、しかも、三十代で、丁稚奉公的なことから始めるのに不安はなかったんですか?

松本 なぜか、不安はまったくなかったですね。だいたい私は、人付き合いが苦手なほうで、人に向かうより、物に向かうほうが気持ちは楽なんですね。向き合って返って来る答えも解りやすいですし、自分には向いていると思いましたね。

植田 でも、趣味とは違って、その道で食べていくわけですから、簡単なことではないですよね。
修行を始めてからどのくらいで、これでやっていけると思われましたか?

松本 三年目ぐらいで、やっていける自信みたいなものはできてきましたね。技術的なこと、気持が続くこと、両方ですね。今から思うと、当時の自分は何も分かってなかったんですけど、なんか、自信満々でやれると思ってましたね。

植田 経験を重ねて、色々なことが分かってきて「これで一人前になれたかな」と、御自分で思えて、師匠からもOKをもらえたのは、いつ頃からですか。

松本 十年目ぐらいからですかね。でも、それも、やっと基礎というか、土台が出来たぐらいで、そこからがスタートだったんですけどね。

 

 

植田 十年ぐらい修行すれば、ものに出来るものなんですか?

松本 何事もそうなんでしょうけど、向き、不向きはあるので、向いていなければ話にならないんですけど、大体そのくらいじゃないですかね。
器用だから出来るかというとそうでもなくて、なぜか、器用な人は憶えるのも早い分、飽きるのも早い人が多くて、けっこう、すぐにやめていったりもしますね。

植田 飽きるというのは、出来ていると思っているから飽きるんでしょうけど、もの作りというのは奥が深いものなので、続けていくうちに次の課題が出てきて、やり方も変わってきたりして、新しい魅力も見えてくるものなんですけど「出来ているつもり」の地点でやめると、本当の魅力は分からずに終わりますね。
やっぱり、好きでいる、という要素も大事でしょうね。ただ、好きでこつこつとやり続けていけば、やっていくうちに形になっていくようなものでもないでしょうけど。

松本 そうですね。好きでいられること、辛抱強く続けられるということ。器用に手が動くということ。全部、必要なんじゃないですかね。それと、伝統工芸といえども、やっぱり、デザイン的なセンスというか、クリエイティブな素養も必要でしょうね。
切子を作れるようになってからも、作家として好きなものを好きなだけ作るという仕事だけではなく、お客様からリクエストのあった、一つのデザインのものを大量に作ることもありますので、気持ちのコントロールも重要ですね。ひたすら、手を動かし続けるということになってきますので。

植田 そういうとき、気持ちをどう整えていきますか。

松本 もう、クオリティですね。同じデザインのものでも、ひとつ、ひとつのクオリティを上げていく。納得がいくまで上げる努力をしますね。その姿勢でやると集中できますね。ただ、そういう商品の場合、作る時間も限られていますので、時間との闘いもあって、納得できるものはなかなか出来ないですね。
まぁ、すべての条件(素材、時間、メンタルなど)が揃って、じっくりと取り組める場合でも、100%納得できるものは、まず、ないですけどね。

植田 100%の納得っていうのはないでしょうね。納得した時点でそれ以上の成長はないですからね。ものごとを追求していくと、その度に反省や発見があり、どんどん奥に入っていきますからね。出来たと思えた瞬間に次の課題がでてきますね。

松本 そうですね。ただ、今日の100、今日の精一杯でやっているつもりではあるんですが。

植田 物作りとして、工芸品という考え方と美術品という考え方があるとすれば、そこはどのように考えられていますか。

松本 私は「民芸」ということばを生みだした柳宗悦の考え方に共感しますね。
「鑑賞される純粋な美術品とは異なり、民芸は日々の生活のなかで使われる道具であり、民芸の美は、用に即することによって生まれる「用即美」である。美術品が一部の天才的個人によって作られるのとは対照的に、名もなき民衆が生活のために、その地で与えられた天然の資源を基に作り、日々の生活のなかで使われる。それは、その土地と生活に生み出されたものであるということで、その器には自然の加護があり、器の美は自然の美である」と、言われています。
工芸品を作るなかで、深く土地の自然と交わり、自然へと帰依していく。そうして作り出されたものに「自然」が開示され、「美」が宿る、ということですね。

植田 それは「美」を作るというより、「美」が導き出されたということですね。松本さんはそこに魅かれるわけですね。

松本 そうです。美術品には美術の持つパワーがあると思いますが、私は「用」と「美」が結ばれた、生活に根差した「美」に魅かれますね。
アフリカのプリミティブアートといわれているものでも、例えば、ドゴン族の穀物倉庫の扉や椅子なんかにもそういう美を感じますね。
天満切子も使うことによって、いのちが生まれるんじゃないかなと思いますね。

植田 なるほど。

松本 日本の伝統的な和紙なんかもそうですが、住職たちが使われる、純植物性の原料で手間をかけて作られた、和ろうそくの、ゆらゆらと大きく揺れる炎にも、なにか、遠い昔から引き継いだ美的な時間とか、空間を感じますね。​​

 

 

植田 和ろうそくには独特の情緒がありますね。
しかし、天満切子もこのデジタルな世の中にあっては、プリミティブな「手仕事」ですよね。
色ガラスを削っていって、最終の仕上げも薬品を使わずに手磨きで仕上げをするんですからね。貴重な仕事をされていますね。

​松本 たまにね、ガラスの修理の依頼というのが入ってくることがあるんですね、ずいぶん前に私がつくったものなんですが、見てみると、愛着を持って使っていただいているのが分かるんですね。ありがとう、という気持ちでいっぱいになりますね。この仕事をさせてもらっていることに、ほんとに感謝しますね。

植田 それは、器にも、素材を作ってくれている業者さんにも、その素材の基となった、自然界の恵みにも、購入してもらった人達にも感謝するっていうことですね。

松本 もっと言うと、自分の手にも感謝しますね。

植田 その感謝の心は、出来あがった天満切子を生かすことに繋がっているんでしょうね。
器に飲み物を入れたとき、そこに感謝が加わるということですからね。器の手触りや、飲み物を口に入れるときの触感も含めて、味わいも違ったものがあると思いますよ。
土門拳という写真家が仏像を撮影していて「今、仏像が笑った」と言い、シャッターを切ったという話がありますよね。それを聞いた人が「仏像が笑うわけないだろう」と、言ったりするんですが、それは、仏像は、笑ったんですよ。「写っている」というのは、そういうことなんですよ。ですから、感謝の心も器に写っていると思いますね。

松本 そうなっていてくれていたら、うれしいですね。

植田 もの作りではよく「作り手の魂が入っている」とか「そこに自分を表現した」というようなことが言われますが、そこのところはどうですか?
作者が、自分の魂を込め、自分の内面だとか個性を表現したものが優れたものだと考える人と、自分を消して、そのものの存在のありかたを生かして、いかに表現できるかという人がいますね。

松本 天満切子の場合は、商品としては主にグラスになりますけど、器が多いんですね。飲み物や食べ物を入れるものなので、そこに自分を表現したいとは思わないですね。なにか、情念とかが入ってしまうと飲み物もおいしくなくなるんじゃないかなと思いますね。ただ、心っていうことでいうと、心を込めて作ってはいますけど、その物のなかで自分の内面だとかを表現したいというのとは違いますね。

植田 自分の感情とか個性を入れていくものじゃないということですね。

松本 それは、美術品とか、作るものによってもまた違うと思いますけど、例えば、モードの世界なんかでも、服そのものを単体で見れば、とんでもなく美しくて、メッセージもあり、面白いものでも、人が着るとどうなんだろう?と、思うものもありますよね。反対に、シンプルでなんてことない服でも、着こなし方ひとつで美しく見えることもありますね。
天満切子だと私なりのデザイン的な個性はあるかもしれませんが、そのものを越えての表現というのは、工芸品として生活のなかで使われていくものには、ないほうが良いような気がしますね。使い手の人が使い方を考えて、生かされていけば、そのものの美が現れてくるんじゃないでしょうかね。

植田 私の世界でいうと、仏像ひとつにしても、例えば、不動明王は憤怒の相をしていますが、皆さんの心を叱って、正しき命の法則、心の法則に準じていくありかたに導こうとしているのであって、激しい相をしていますが、内面は慈悲の心なんです。ですから、激しい相をしているから、激しい心で作ればいいのかというと、それはまったくのお門違いで、慈悲の心でありながら、憤怒の相であるという二面性を映しだすものが、仏像として立派なものになるんです。
仏師とか行者の達観した想いをそこに入れるのではなく、いかに自分を無くして、お不動様と一体になり、教えを、心のありかたを、お呼びして託すというところが仏像の最も生きた姿なんです。
ですから、どんな物でもその存在の意味を知って、それがいかにして生かされているかということが、その物の価値じゃないかなと思いますね。
感謝、慈悲、やさしさ、そういうものは感情といわれているものとは違って、心の声、なんです。それは万人に通じてあります。
松本さんが感謝の心を持って、天満切子の制作に取り組んでおられるというのは、工芸品を生かすことに繋がるでしょうね。​

 

真剣な自分に出会う

松本 ひとつの天満切子が出来あがり、私の手を離れて、誰かの手元に届き、その人の暮らしのなかに入っていって、思い出の傍らに宝物のように存在してくれていれば、それはこの上のない喜びですね。

植田 それは、うれしいですよ。通常、乱暴に扱われるようなものでも、自分たちの手が加わったことによって、その物の存在を意識的に見つめてもらい、大事に使ってもらえるんですからね。

松本 欠けた器でもリメイクして使ってもらえるほど、愛着を持って使ってもらえるというのは、心の支えになりますね。

植田 そのあたりがやっていくなかで、気持ちが切れたときでも、「よし、がんばろう」と続けていける所以ですね。

松本 だから、もっと良いものを提供できるように、切子というものを真剣に見つめて、追求することを忘れないようにしたいですね。

植田 その、「真剣」な自分に出会うということは、なくてはならないことですね。
「真剣」な自分で技術を得ていかないと本当の形は出来ないですね。
私達が使う数珠ひとつとってみても、作り手によっては信じられないくらい真剣さが入っていない物がありますよ。
物の存在感がまるでないというか、「玉を作って、つなげましたよ」というようなものが、みやげ物ではなく、注文して作ってもらったものにもありますね。ほんとに、ただ、削ってつなげただけ、というものですよ。
無味乾燥な空気が漂っていて、ただ、なにかしらの物質がそこにあるだけです。数珠のかたちはありますけど、それは本当の数珠のかたちにはなっていないんですよ。真剣な自分で取り組んでいないんですね。小手先ですね。

松本 ありますね、そういうもの。

植田 それは技術的な未熟さではないんですね。
私達の世界の行者たちの日々の行でも、ただ、たんに手を合わせて拝んでいるだけじゃ意味がないんです。
心の世界、人の想い、世間のこと、様々なことを感じながら、ここだ、という的を決めて真剣にお祈りをします。その的が分からないと修行にはならないんです。これは、理論、理屈じゃなく、自分なりに真剣にやっていたら、視えてこざるをえない、視えてくる、ものなんです。
少なくとも、行者はなにをするかというと、真剣な信心を奉納するということ。
もの作りも同じだと思います。芸であれ、なんであれ、生きるなかで学ぶのは真剣になれること、真剣な自分に出会えること。
その心に辿り着くことが重要です。その心で生きている人達に順列はないですね。
高級なものを作っているから偉いとか、安いものを作っているから偉くないとか、そんなもんじゃないですね。真剣に取り組む心は同一のものですよ。
有名な建築家も無名な大工さんも、どちらが上とか下とはないです。
有名な建築家だから特別に偉いわけではないんです。それは、それぞれの役割であって、比べるものではないですね。
大事なことは、例えば、一本の線を引いたとき、その、一本の線はどこから出てきたのかということです。
一本の線を引くことは、まぁ、誰にでもできます。でも、多面的にものを見て、思考錯誤をしながら鍛練してきた人の引く線は、その場所に本当に必要な線なんです。それは、3年、5年、10年と真剣にやってきた心と技術から生まれてくるものなんだと思います。
何も考えないで子供が引いた線が魅力的、というのもありますが、それはまた別の話でね。
まぁ、それだって、無垢で真剣な心があってのことですから。

松本 それは、どの業界でもどの道にも言えることですよね。野球選手なんかでも、バッターが一球の玉を打つときに、一瞬の判断でバットを振りますが、その一瞬の前に、血の滲むような練習のなかで得た、何十、何百の技術が背景にあって、場面、場面で様々なことを想定して振るわけですからね。
決め打ちというものもありますが、それも経験と技術がなければ決めることはできないですよね。

 

 

植田 そうです。だいたい、真剣にやったほうが面白いじゃないですか。子供の頃のビー玉遊びなんかでも、みんな真剣にやってて、すごく面白かったですよね。今、思うとたわいのない遊びなんですけど、夢中になりましたよね。

松本 なりましたし、その時の真剣さは深く心に刻まれていますね。度々、思い出しますよ。
記憶ということでいうと、ちょっと話はずれますが、認知症の症状の進行を抑えるのに効果があると、今、「回想」が注目されていますね。どういった事なんでしょうか?

植田 それは、記憶の中にある思い出は、人に伝えることで、思い出が正確に明瞭になりますから、その人が輝いていた時代の記憶を適切な方法で刺激すると、気持ちが穏やかになり、記憶の保持、睡眠や栄養、お通じ、血圧を安定させ、免疫力の向上にもつながると言われていることですね。

松本 なるほど。だとすると、真剣な自分に出会った人は、思い出のひきだしの数も多いでしょうから、認知症の進行も遅いかもしれませんね。

植田 そうですね。それと、思い出というと後ろ向きに捉えがちですが、そんなことはなくて、「真剣になれた自分」は振り返ったときにも勇気をくれますよ。

松本 わかります。その経験は心に蓄えていますからね。

植田 「真剣に取り組んでがんばろう」というような話をすると、「それは、〇〇だからできるんだ」と、返ってくることがあるんですが、「真剣に取り組む」ことは、皆、できるんです。野球をやっている人全員にプロ野球選手を目指せと言っているわけではないんです。その経験は必ず身になります。
人にはそれぞれに与えられた、まぁ、今時の言い方で言うば「ミッション」があって、それは、探さなければ見つからないんです。
何かに向かっていき、それが自分に合わないとしても、向かわなければ他の何かも見つけることはできないですよ。
生まれつき道が決まっているような天才は別ですけど、天才も努力とセットになっていることが多いですからね。

松本 ミッション 、ですか。
​私も色んなことを試してみて、天満切子に辿り着き、「これだ」と思いましたね。まだまだ未熟ですけど、出会えただけでも有難いですね。

 

 

植田 松本さんの場合は、感謝の心が自分を前へと進めてくれましたね。
感謝の心が生まれたとき、自分と世間との関係性や、現在の自分の立ち位置が分かり、視野と心が拡がっていきますね。
自分の作った天満切子で喜んでもらったことに感謝し、自分も喜び、その喜びが制作意欲につながったことに感謝し、結果、作品の質が上がったことにも感謝し、さらに…といったんでしょうね。

松本 そうですね。ものづくりをしながら、気持ちが下がったり、上がったりを繰り返しながら、お客さんに喜んでもらえることが励みになり、続けてきましたね。
続けてこられたから視えてきたことも沢山ありますね。

植田 人々の、それぞれの感謝の気持ちがつながったところに、ひとつの器としてのかたちが生まれてきているので、愛着を持って使ってもらえるんでしょうね。

松本 やっぱり、「自分もうれしい、人もうれしい」というのがいいですね。自分だけうれしかっても、面白くないですよ。

植田 ほんとにね。
松本さんは「天満切子 二代目 武山」としての活動とは別に「天満切子 斉久」というブランドで切子の制作をされていますけど、物としての違いはあるんですか?

松本 「天満切子 二代目 武山」では、宇良武一氏が作りあげた切子のかたちを継承し、伝えて行く仕事をしています。そこから発展したオリジナルのデザインを採用しているのが「天満切子 斉久」になります。どちらも天満切子の核になる特色は同じですね。

植田 天満切子の一番の特徴として、液体を注いだときに万華鏡のように変化する華とよばれる、花模様がありますね。これは、さらに発展させることはできるんでしょうか?

松本 花模様は図柄と素材のバランスによって、変化の度合いが変わってくるんですが、その伝統をベースに革新的なことができないかと試行錯誤はしています。

植田 どういうものが生まれてくるのか、楽しみですね。

 

 

松本 ありがとうございます。私もやっと基礎というか、建築でいうと上棟式が終わったくらいですので、永く残るような建物をつくりたいですね。

植田 これから私達の生活のなかにAIが入ってきますが、AIはこれまで私達が見てきたどんな技術よりも多大な影響を及ぼすと思いますが、一方でセーターなんかでも機械で編んだものじゃなく、手で編んだものだったら欲しいという時代にもなってきていますよね。松本さんも、生活のなかでずっと寄り添える歓びがあるものを作っていってくださいね。

松本 はい。今、不安の時代といわれていますよね。孤独な人も多いと聞きます。そんななかで、自分が作った天満切子の存在が誰かの役にたってくれれば、うれしいですね。少し、生活を豊にするものとしてね。

 

天満切子 二代目 武山 松本斉久
天満切子の創始者である、宇良武一氏に師事。江戸時代からの伝統を継承し、現代に誕生した美術的工芸ガラス「天満切子」の正統的後継者「天満切子 二代目 武山」として、その素晴らしさを世に広めるために、日々、切子の美を追求している。

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