教 え

当院について
当院の門前には二百年以上前から祀られている石像の不動明王、火の神様の祠があり、隣地には千年以上の時を経た牛頭天王(素戔嗚尊)が祀られていることから、山名を天王山とし、本堂を大阪・箕面に構えております。命教寺の御本尊は、真言密教の根本尊である大日如来がお姿を変えた大日大聖不動明王をお祀りさせていただいております。命を教える寺として、心の本質によりそい続け、皆さまと共に創り上げる、現代の寺子屋のような、命の空間“心のふるさと”でありたいと願っております。

不動明王について
不動明王とは不動の心を学ぶ仏です。優しい姿をされた御本尊が多いなか、恐ろしい表情をされているのは、悪を断ち仏道に導くことで人を救済するためで、信ずる人の心の内に住み、いつも身近でその人を護り、御利益をくださいます。弘法大師の航海の安全を護ったことから梶取り明王との名があり、古来から人生の舵をも取る梶取不動尊、お不動さんの名で親しまれてきました。命教寺では。矜羯羅童子、制多迦童子をはじめ、倶利伽羅竜王もお祀りしております。本来、不動明王という仏は心の本質そのものであるので、修行を通じて正すという導きをしてくださいます。

私たちの想い
人はとかく極論に走りがちです。右か左か、黒か白かと。弱い自分が出てきたら強い自分が押さえつけ、弱さを克服することが人生の勝利を得ることへの努力であり、結果を生むと信じて進みます。それが出来ない者は根性無しの脱落者と判断し切り捨ててしまう。はたしてその方法でしか才能を開花させることはできないのか?隠れた才能の芽を見逃し、潰してしまうようなことにはならないのか?私たちが修行を通じ、心の法則、生命の理【本質】に触れると、その方法だけではないということが解ってきます。そもそも何をもって弱い自分、強い自分と判断するのか?弱い自分と決めつけたものが現れると、不安とともに恐怖心が溢れ出てくる。それらは自らが作った妄想に惑わされているだけではないのか?

仏教では自己と対立関係を作りだすのが苦しみだと教えています。私たちは自ら苦しみを造作し、自らを傷つけることで喜びを得ようとしているのではないでしょうか。この答えを御仏、神様に訊いてみようではないですか。護摩行は神仏(心)の教えをダイレクトに体感できる修業法なのです。こころの本質とはどのようなことなのか。皆さまと共に神仏から御慈悲と御智慧をいただき、学んでいきたいと考えております。

住職:植田真光
1965年 大阪生まれ 生後まもなくの病で生死の境を彷徨う。病弱な幼少期の反動もあり、荒れた少年時代を過ごすが、何事もとことん追求する気質からか、まわりからは「まじめな不良」と呼ばれていた。世の中の裏、表に全力で身を投じながらも、常に頭から離れない「生きる意味」に思い悩むが、やがて、24歳より信心を始める。26歳で弘法大師空海を自佛として信心を深め、修行に励む。33歳、高野山にて得度。34歳伝法灌頂。現在は箕面の山に修行道場を設け、焼八千枚護摩供等、修行に励むかたわら、人生・経営指導・加持祈祷を通じて密教の布教にあたり、世の皆さまの幸せを願い、真理を追究している。